江口 彰 Laboratory

分野は、“教育” “映画” “まちづくり”。次世代への取組みを分かりやすく考えてみる。

「カタリ場」という授業を改めて考える(その4)

Posted on | 4月 12, 2015 | 「カタリ場」という授業を改めて考える(その4) はコメントを受け付けていません。

カタリ場を考える上で“ナラティブ”という概念があります。“ナラティブ”とは、語り、物語ると言い換えることができますが、この“ナラティブ”がカタリ場のなかに随所に登場してきます。カタリ場の“カタリ”は“ナラティブ”を指すといっても過言ではありません。この“ナラティブ”という考え方がどれほどカタリ場の授業、ならびにカタリバの活動そのものに散りばめられているかを解説することで考えてみたいと思います。一つはカタリ場で登場する“先輩の話”というコーナー、もう一つは研修時での語りを紹介したいと思います。

高校生に動機付けを促す最大の転換点は、最初のグループワークを終えてから、“サンプリング”とカタリバコミュニティでは呼んでいる“先輩の話”を聞きに行って帰ってきたあたりの、始まってから約35分ごろになります。最初何気ない気さくなグループ対話から、一方的に大学生の“物語”を聞いてくる時間帯になり、それを聞いているうちに何かしら心に揺さぶりがかけられて、そして聞き終わったら元のグループに戻ってきて感想を促されるわけです。この時どれほど心に響き元のグループに戻ってくるのか。その生徒とストーリーとの相性、物語る学生たちの力量がうまい具合に重なり合うと、カタリ場の真骨頂の瞬間が訪れることになります。この模様はこれまでいくつかテレビ番組などで紹介されていますので、参考にご覧いただきたいと思います(例;こちら)。この“サンプリング”がカタリ場を構成する上で、主柱になる重要なコアな部分です。

カタリ場を模倣してみたいと思って見学に来られる方がいますが、この“サンプリング”についてはほぼ真似ができないと考えられます。模倣ができないとは、カタリ場で実施しているサンプリングのレベル感のことを指します。軽く自らの人生を振り返って語ることはできると思いますが、他者が感銘を受けるほど何かを感じさせるレベルまで昇華させることは至難の技です。しかもこれは特別な経験を持った学生ではなく、普通の経験しかしていない学生たちでも何かしらストーリーを持っていることを引き出すことがポイントになります。そのためサンプリング開発には、お互いの信頼関係や開放感・包容力がある組織文化の形成と、手間ひまを惜しまない粘り強いカウンセラー的な聞き手役(開発者)が必要になります。この二つを揃えることは並大抵なことでありません。特にカウンセラー的な聞き手役はなんとか代々できるとしても、前者の組織文化の構築は相当難度が高いと思います。何かしら自分の苦い思い出を教訓として吐き出して人前でプレゼンするには、カミングアウトしても良いという信頼関係があってはじめて開発することができます。さらに実際に活躍できる現場をコンスタントに持つことで、その物語を伝え活用する場を何度か経験して修練するといった環境整備も必要になると考えられます。

サンプリングは大学生同士一つ一つ対話を通じて作り上げていきます。この作業は、物語を作り上げる学生のモチベーションを生成し開発チームがそれをコントロールしていくのですが、一度作るのに手間暇がかかってしまう分、何度か活用できる場がないと費用対効果が低いですし、発表する機会が少ないと作成した本人にもフィードバックで得られることが限定的になります。サンプリングを作る側作られる側双方に物語を作り発表する過程で大きな学びという収穫があるからこそ、トライしてみたいという動機付けとやりがいがあるのです。それも仲間の大学生が実際現場でやって見せている背中を見ているからこそ、立候補してくる大学生が集まってきます。サンプリングを作るには精神的な力がどうしても必要になりますから、それを促すことやサポートするための装置を持つことは重要です。このように幾つかコツがあるにしても、そもそも東京のカタリバの組織文化が素晴らしくて、それをうまい具合に北海道に移植できたから当団体でもなんとかやっていけるという背景は大きいと感じています。

カタリ場の研修の骨格となるのは、過去のカタリ場の現場経験を語り伝える“伝承”を主な柱にしています。過去にどの高校に行ってどういう高校生と対話をして、うまく話を引き出せた、できなかった、楽しかった、嬉しかった、悲しかった、難しかった、時間がなかった、などなど語り、そしてそれはなぜなのか?を考えながら伝えるのです。この伝聞の質が研修の質の骨格になります。カタリ場のグループワークをうまくファシリテートするための訓練は、機械的な手法や段取りを教えることはしますけど、様々な高校生がいますので、その時の対話の組み立て方には明確な答えがありません。これは、過去の経験大学生の物語りを聞くことで理解を深めてイメージを作っていくしかないのです。この伝え方、物語の質をかなり気にしながら研修を組み立てていくことになります。

ナラティブの考え方は、“社会構成主義(social constructionism)”という考え方に基づいています。構成主義とは、「人は自分を取り巻く世界や現実をありのままに捉えて理解するものである」とする見方を否定し、「人は自分の持つ認識の枠組みや知識を使って世界を理解し自分なりの意味を生成すること」としています。まさにカタリ場は実体験をサンプリング化して伝えることや、研修でカタリ場の体験という経験者の認識の枠組みなど駆使して伝えることで、共感や理解を促すという手法が多くちりばめられていると言えます。(秋山薊二:「社会構成主義とナラティヴ・アプローチ-ソーシャルワークの視点から-」一部参照)

上手に伝承するためにも必要な訓練は、反復練習と振り返りを多発化させる場を随所に組み込む事です。何度も少人数ワークを繰り返しやります。ただし、回数を繰り返すたびにマンネリ化が生まれてくると集中力が途切れていきますから、それも上手にグループ替えをしたりメニューを変更したり、切り口を変えて行います。さらに北海道の場合は、事前研修のみならず、事後研修という場もセッティングしています。高校生たちからのカタリ場後のアンケートを読み込むことで当時のやりとりを思い出しながら、何かを学びとって次の現場に望むのです。この時も読んで学生たちとの対話を中心に展開していきます。

ですから学生たちは、カタリ場の研修に初めて参加する。カタリ場の本番に初参加する。カタリ場の本番を振り返る。次の現場にエントリーする。次の現場の研修に参加する。前回の現場を伝承することを通じて学ぶ。2回目のカタリ場本番に参加する。振返りのワークに参加する。次の現場にエントリーする。3回目のカタリ場の研修に参加する。過去2回の現場を振返りながら伝承する。他者の伝承も聴きながら自分の体験と比較して考察することを述べる機会も生まれてくる。そのうちサンプリングにトライしたいと思って志願する。サンプリング開発プロセスに入る。といったように、歩みはじめていくのです。

こうして学生たちの経験の質が高まっていきます。そして何度か現場にいくと高校生に貢献できたという成功実感も得ることができますし、そこに自分の価値を見出す瞬間もあります。ジョン・デューイのいう経験の質の「連続性」と「相互作用(相互作用する相手は研修時の大学生たちと、本番で向き合う高校生たち)」がカタリ場に参加し続ける行為で組み込まれていており、その中心には語り語られることを通じる“ナラティブ”という概念が染み渡っていることになります。

このように参加することで変化が起こってくる学生たちがどんどん生まれてきて、コミットして構成されている組織文化は、コミュニティとして健康的で意欲や向上心が高く、居心地の良さを感じる人も多く見受けられ、それが魅力につながり、口コミで広まっていく一つの大きな要素であると考えられると思います。カタリ場に関わってくる学生たちは、大きく成長しながら歩み、それは特別な大学生ではなく普通の大学生からの変化であって、高校生から見ても手の届かない距離ではなく、だからこそ共感しやすい距離感を保つことができる。これがカタリ場が高校生の心を揺さぶる動機付けに大きく寄与できる背景だと考えられるのです。

「カタリ場」という授業を改めて考える(その3)

Posted on | 4月 11, 2015 | 「カタリ場」という授業を改めて考える(その3) はコメントを受け付けていません。

カタリ場の授業を展開するためには、多くの大学生が集まってこないとなりません。ボランティアですから、主に学生たちの口コミで勧誘や広報で集まってきて、毎回はじめてカタリ場に参加する大学生が存在しています。彼ら初参加者には、特に重点的に研修に参加してもらうわけですが、その構図は本番のカタリ場に似たような場を作り出しています。

カタリ場の研修は地域によってかなり差があるのですが、基本はワークショップスタイルで進めます。ですから、[大学生]⇄[高校生]が「はじめまして〜」とあいさつしてからグループワークをスタートさせる本番のカタリ場と、研修時に[カタリ場経験した大学生]⇄[初参加大学生]が「はじめまして〜」とカタリ場の解説する場面は、かなり類似しています。特に北海道では、学年別参加優先度という制度を引いていますので、研修時には3〜4年生の先輩大学生が1〜2年生の初参加後輩大学生へ研修を促すというケースが多発する仕組みになっています。

この時、カタリ場と似た様な効果や変化が初参加大学生に起きるかどうかがポイントになってきます。カタリ場で高校生と向き合う前に、学生自ら間接的に体験した(カタリ場本番を直接経験とすると、研修は間接経験と捉えることができる)研修経験を積み重ねていますので、カタリ場の質的担保がある一定ラインまで持ち上げられていきます。ただし、動機付けという意味で高校生と大学生とでは少しずれています。高校生にはこれからの人生に向けて前向きになる一歩を踏み出そうといった動機付けを促しますが、大学生にはこれから高校生と向き合って語り合うぞ、といった動機付けを喚起させるのです。それは同時に、カタリ場について興味をそそるようなことでもあり、友人に誘われてなんとなく参加した大学生であっても、本気さや真剣さを身につけていくことになります。何よりも自分の高校時代と向き合う作業が徐々に注入されていきます。研修のワークの過程で、高校生の立場になって話をしたり話を聞いたりする場は、自分自身の高校時代を振り返りながらイメージを作っていく作業でもあります。この過去の自分と向き合う態度というのが大学生の研修で大きな視点となっていきます。ですから、研修を経験するだけで大学生がどんどん変わっていきますし、それができるからこそ、カタリ場で高校生と向き合っていけると考えられるのです。

北海道の研修スタイルは、はじめて参加する大学生たちに9時間のワークをしてもらってから、本番カタリ場に臨みます。この9時間という時間枠(3時間を一コマとして3回受けてもらいます)は、いまや全国のなかでも北海道だけの特徴で相当手厚く研修をしているのですが、そのぶんはじめて学生が参加してもらうには参入障壁として敷居が高いのも事実です。ですから、集めるのに四苦八苦している現状もあります。このあたりは少し課題になりつつありますから、今後このシステムを維持していくための工夫を検討することになると思います。

他の地域では概ね2〜3時間程度の研修を終えてから本番に臨みます。なぜ北海道だけこのようなシステムになったのでしょうか。

一つは、自分がもともと大学生のキャリア教育関連の研究を大学院時代にやっていたことがあります。大学院進学以前からずっと学生たちとプロジェクトを立ち上げたり、喧々諤々と試行錯誤をし続けてきた経緯がありました。自分の関心事は、大学生から社会人への移行にかかわる期間で、能力を身につける学びについて考えていくことでした。そのため何かしら学生コミュニティを形成して運営していくことをやり続けてきたわけです。経験学習や組織学習の理論を学びながら、ワークショプの類なものを一通りやってきました。それを大きく形にしたのが北海道大学での映画祭構築や映画制作に結びつき、一定の成果を上げていたのです。

そしてもう一つ大きな出来事として、北海道で最初にカタリ場を実施したときの研修がたいへん素晴らしい内容でした。2泊3日の研修とカタリ場本番といった行程だったのですが、これが非常に中身が濃くたいへん意義のあるものだったのです。リードしてくれたのは、当時東京から来てくれた10名の学生たちです。道内で集まった30名の大学生たちとともに実施しました。この研修は初日の夕方から2時間程度ワークをして歓迎会を開催。2日目は朝9時から21時までびっちりとワークを行い、3日目の早朝から旭川に移動して、午前と午後と2つのカタリ場(1年生と2年生)を成し遂げて、打ち上がる(宴会)という流れでした。この時の宴会には、実施校の校長先生やPTAの役員もいらっしゃって、今まで66回のカタリ場を実施してきましたが、すべての現場を振り返ってもかつてない盛り上がったエキサイティングな日であったと思います。

この時の研修内容をしっかりインプットして、オリジナリティのある研修プランにカスタマイズしたことと、何よりこの時の体験をした30名の大学生たちが、この体験を基準にその後のカタリ場を考えはじめましたので、相当高いレベル感で意識を共有して進めていくことができたのは、大きな財産だと振り返ることができます。

「カタリ場」という授業を改めて考える(その2)

Posted on | 4月 10, 2015 | 「カタリ場」という授業を改めて考える(その2) はコメントを受け付けていません。

高校生と大学生が語り合う授業「カタリ場」。高校の総合学習の時間の中に組み込まれるため、正規の高校の授業の一環として実施していますが、この授業、高校生に対する教育効果よりもむしろ大学生への教育効果の方がより凄まじいものがあります。高校生は高校3年間に1回程度2時間のカタリ場を受けるのが通常で、効果や目的としては先に述べたように“動機付け”です。しかし大学生はもっと多くの時間を費やすために、その効果が高校生の比ではないといったことになり、それはあまり表に発信できてきていません。

なぜ発信できていないかといいますと、カタリ場の授業は高校側がその授業を取り入れてみようという計画があってはじめて実現するものです。よって高校生に効果的な授業であることが真っ先に検討してもらうべきことになります。また大学生たちも、高校生のためにどういった授業展開をしていけばいいかを第一に考え、カタリ場で高校生達とのやりとりを考えていきます。マスコミの捉え方もどこの高校で実施してどう効果的だったのかを追いかけていくスタイルになります。

このような背景がありますので、見学いただく方々には高校生の変化を観察しに来くるのですが、そのうち見学者のなかに大学生たちの活躍ぶりに目が止まりはじめていく人が増えてきます。カタリ場の授業のなかに組み込まれている“先輩の話”の時間帯に、彼ら大学生のプレゼンテーションを聞くと感銘を受ける見学者も少なくありません。どうしてあのような話ができるのか?不思議に思う人も多くいます。

大学生の教育効果は、実施している大学生たちの実感が伴っていることでもあり、それがやりがいであり活動してみたいというモチベーションになっていることは確かです。見学していただいた多くの方から「なぜ大学生たちはボランティアなのにこんなに多く集まっているのですか?」という不思議に思って質問してきますが、その返答に「口コミです」といいます。ですが、これでは回答になっていませんので、それは“魅力がある”から口コミで集まってくるわけで、その魅力を説明しないとなりません。

大学生たちから見える“カタリ場の魅力”つまり活動動機とは、大きく2つあると考えています。一つは、自分が高校時代にカタリ場を受けたかったという類です。それほど授業についての価値を認め、広めたい、自分の母校でやってみたいという思いを持っている学生がかなり多くいます。もう一つは、様々な学生などが集まっているコミュニティに関わりたいという、仲間づくりや大学生たち同士に対する魅力です。

しかし設立当初は無名に等しいですから、勧誘しても学生たちが集まりにくく苦労していました。今は母体数がそれなりの数になっていますので、口コミで集まってきますし、カタリ場を経験した学生がいますので、体験に基づいて説明しやすい環境にはなりつつあります。また一部の大学の先生からも評価されはじめていますので、そういったルートから伝わることも出てきました。しかし口コミで広まっているといっても限界がありますし、魅力付けもより効果的なものを目指すべきだと考えています。

そのための対策や手法は各地域でカタリバを繰り広げている運営母体が考えてやっていくのですが、北海道も独自のスタイルを作り上げてきてきました。そして学生が集まってきているその組織力は、同じカタリバを展開している全国の仲間たちからも注目されつつあるようです。

カタリバ北海道の目標は全道のすべての高校にカタリ場を届けることとしています。その計画を作るなかで相当な数の大学生を動員すべきことが少し調べるとわかってきます。推定でおよそ4,000人の大学生コミュニティを作り出し、年間3回平均で参加してもらうことが最終的な到達点になります。北海道内にはおよそ8万人の大学生がいますから、かなりの割合です。ですから、口コミ力強化のための魅力づけと、口コミだけに頼らない方法と同時にシステムとして構築し整えていく必要を感じています。そのなかで最も注目して力を入れてきたのが「研修システム」の開発と運営でした。次は、この仕組みについて書いてみたいと思います。

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