江口 彰 Laboratory

分野は、“教育” “映画” “まちづくり”。次世代への取組みを分かりやすく考えてみる。

ロケ隊(映画)が地域に求めていること

Posted on | 7月 31, 2010 | ロケ隊(映画)が地域に求めていること はコメントを受け付けていません。

まちおこしの一環で映画のロケを誘致する活動が盛んになっています。ヒット作の誕生によってロケ地が観光地化する現象がよく起こっています。北海道の小樽市では、岩井俊二監督作品の「Love Letter」が大ヒットし韓国から多くの観光客を呼び込み、富良野市ではテレビドラマ「北の国から」の影響で賑わっている代表的な地域です。このように映画だけではなく映像作品の幅広い分野で同じような現象が各地で起こっています。

これらにあやかろうと多くの自治体関係者が動き始めましたが、現状はかなり複雑になっています。大きな問題点として誘致者(多くは行政担当者)は、製作の経験がないために、一般の観光客を誘致する方法に近く、単に映画関係者にすり寄っているという粋を出ていない点にあると思います。

いい映像作品はまずは脚本開発からスタートします。つまりロケ地を誘致するにあたって脚本家や小説家の方にすり寄ることがむしろ大事な点です。物語を作る時から既に「場所」が組み込まれている場合が多くあるでしょう。もちろん場所がどこでもよい作品もたくさんありますが、本を書く人の好みを引き出せるかが最初の重要なポイントになります。脚本家や小説家の方々はよく取材などを行なっており、それらはまずいつどこで来られているか分からないものだと思います。さらに趣味趣向が作家さんによって異なり独特な世界観をもっているために、普段から魅力ある地域づくりの延長線上にあるというのが自然な流れなのかもしれません。

もう一方は、撮影のしやすさなどの製作環境が左右されます。撮影隊は相当な緊張感を持って取り組んでいますので、細かなケアができそうな場所が大事になってきます。強引でわがままのような要求も時々でてきます。基本はアーティスト団体ですから、そのわがままさがある種奇抜で独特な作品のクオリティを左右するものでもあります。そのためには現地でのコーディネーターが必要になってきます。天候一つでロケ地がコロコロ変わるような不確定要素に即柔軟に対応できるコーディネーションは、地域に広く根ざしたネットワークと信頼関係が元々備わっており、フットワーク軽くよく動くことが求められ、製作チームの心理的共感もできる人が重要になってきます。これらの動きでロケ部隊が円滑に進める土台となっていきます。製作サイドから見ると、これらの人員をスムーズに動かすところまでが地域に求めていることです。

しかし、このような能力は専門職の領域になります。私も映画ロケ中は20時間労働の2時間睡眠といった過酷な日々が起こることもあります。それらにずっと付き合ってくれる地元コーディネーターの存在は、大きなバックアップと感じるでしょう。この人材育成は、行政の仕事観とはかなり違うでしょうし、地元愛とその映画ロケ隊に魅力があるところに動機を持ち、動いてくれる存在がロケ誘致に繋がっていくと考えられます。実態は、誰かがこれらの業務を行なっている人がいて、もしくはうまく調整できずになんとか乗り切ったという状態が多くあると思います。

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もちろん素晴らしい景色、建物などが存在しており、それをPRすることは必要なことではありますし、撮影の許認可の支援も大事な役目だと思います。しかしながら、最も必要とされているところとは違うところです。PRや許認可だけですと誘致の決定打には道のりが長く、これらの業務だけを行なうセクションを行政が行なうとなると中途半端でかえって無駄になります。踏み込んだ形でフィルムコミッションを作るのか、もしくは許認可などの窓口業務を担う観光課の従来業務にするかは、各自治体の方針によるでしょう。

デジタル教科書シンポジウムを拝見して

Posted on | 7月 28, 2010 | デジタル教科書シンポジウムを拝見して はコメントを受け付けていません。

「デジタル教科書教材協議会設立シンポジウム」が2010.7.27に東京で開催されました。Ustreamで拝見した感想を述べたいと思います。はじめに小宮山元東大総長の挨拶では、デジタル教科書教材協議会の設立の意味を話されていました。

「知識が爆発的に増えてきて教育に影響を与えている。学会数は1100を超えており、つまり知識が狭いところに集積している傾向がある。そういう時代に“デジタル教科書”のような情報を集積するものが、変化が激しい社会変化に対応するためへの取り組みになるのではないか?」といったような趣旨だと受け止めています。確かに学会活動や学術論文などの世界に足を踏み入れている経験からすると、分野を狭めて深く掘り下げていくその流れだけが、本当に必要であり意味のあることなのかという疑問を強くもっています。他の軸も存在するのではないだろうか。こうした投げかけの一部にデジタル教科書の運動そのものが関わりを持つというのには興味を持ちます。

その後、マイクロソフト株式会社の樋口泰行社長と、ソフトバンク株式会社の孫正義社長の講演と続き、パネルディスカッションといったラインナップでシンポジウムは進まれています。

基調講演となったお2人のお話のなかで「国際競争力を高めるため」といった目標を掲げていたことに少し懸念を持ちました。競争力強化を押し進める教育は、本来の教育哲学に反する行為でないか?と考えるところはあります。しかしながら、競争するという行為は人間の心理の動機付けに作用する効果がありますので、スポーツの世界のライバルのような存在といったような刺激を与える環境整備は必要なことだと思います。問題は、それら「競争すること」を目標や目的と思わせる表現があまりにも強いということです。

樋口氏のプレゼンは後半ディバイスの説明に移行しましたので、そのあたりの考えを深く伺うことはできませんでしたが、孫氏のプレゼンには“必ずしも競争力アップを目的としていない”といった文脈が見受けられました。しかしながらよくよく聞かないと勘違いを受けかねないとの思ったのは事実で「競争力アップが正しい教育の方向性だ」といった流れを助長しかねない、その心配はよぎります。

例えば「日本の国際競争力をアップさせないといけない」といった内容を世論に訴えるよりも「日本はこれまで世界のあらゆる資源を使い経済大国を作ってきた経緯をふまえ、資源を使わせてもらった感謝の気持ちと、これからの国際社会のなかで多くの問題解決するのは日本人が先頭を担っていくといったリーダーシップをとりつつ貢献できる、頼もしい日本人を育てるために教育をどうすべきか。」そういったような文脈に置き換えていくことが重要なのではないかと、感じました。

さてシンポジウムの中身に戻します。孫氏の話は、数字データなど巧みに使用しながら説得力のあるものでした。その大部分は「教育」の話で「デジタル教科書」の話はごくわずか。あくまで日本人の自信を取り戻すための教育問題を指摘しつつ、如何に変えるべきかという強いメッセージと覚悟を感じます。そしてパネルディスカッションの冒頭では、パネリストの藤原和博氏の短いプレゼンの内容も「デジタル教科書」よりもその前提として、日本の教育の問題点をずばっと指摘するところが爽快に感じました。日本の教育問題は、正解主義にとらわれすぎている!と。

もはやデジタル教科書のシンポジウムではなく、日本の教育をどうすべきかといったテーマにおいて開催されている、そういった場であり、多くの教育関係者には是非一度アクセスしてもらいたいと思います。孫氏の「たいがいにせい」という言葉が印象的なシンポジウムであったと思います。

最後に、便利な世の中になったと痛感しました。昨日東京で行なわれたシンポジウムを朝早くから映像(Ust)を通じてアーカイブで聞けることは、素晴らしいことです。東京と札幌といった地域間格差を若干ながら感じないときでした。しかし問題はアクセスして聴こうと思うかどうかです。その情報収集の仕組みを使えるかどうか、情報への関心の差が大きな違いを生むことも同時に感じます。Twitterをやっていなかったら間違いなくこのシンポジウムの情報も見逃しており、見ていなかったでしょう。デジタル教材の必要性は、こうした情報を収集するライフワークの重要性を認識させ、実行させるのに必要なことだと思いました。

DiTT デジタル教科書教材協議会 http://ditt.jp/

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デジタル教科書教材協議会設立シンポジウム http://www.ustream.tv/recorded/8540904

大学生の関わりは可能性への創造

Posted on | 7月 24, 2010 | 大学生の関わりは可能性への創造 はコメントを受け付けていません。

ここ数年間大学生とともに過ごす毎日を送っています。北海道大学では映画関連のプロジェクトを抱え、北星学園大学でキャリアに関する授業を4年間も持たせていただいています。

大学生と接するのはなぜか。そのときいつも「可能性」と答えています。未来をつくるのはいつの時代でも若者であること、それをライフワークにしたい。 

自身の経験からかなり強く教育ついて問題を意識し改善しよう考えていました。人が育つには、幼児期や小中学校の時期に人間形成の根幹があるのはもっともなことですが、効果や成果を生み出すのに20年以上もの年月がかかります。また小さい時によい教育環境を受けた子供でも高校・大学とで恵まれなかった場合、その結果も大きく変化していきます。ある程度の効果を見せる形で物事を進めなければ、理想論だけで現実的ではないとも考えていました。

そこで自らのライフワークの中心を教育機関の最後の出口からアプローチしていく視点を持つことにしたのです。現行の日本の教育システムの本流は“大学への道のり”となっており、そのために高校教育があり中学教育があり小学幼稚園との流れがあるといえるでしょう。まずは大学教育の問題点を考え、そのなかでも出口となる卒業から就職に関わる一連の動きに着目しはじめました。私が大学卒業する頃は就職氷河期に突入し、まさに就職活動そのものが社会問題化し、その当事者世代だったという経緯も大きな動機付けになっています。

大学時代というのは、高校までと違い行動半径が途端に広がります。車の免許を持ちはじめ飲酒喫煙ができる年齢になり、社交の場へデビューもあり、また海外に単身で旅行に行く人も現れます。そして組織に拘束されることなく自由に過ごすことの選択できる時期でもあります。また一人暮らしをはじめる人も多く現れ朝まで夜な夜な活動しはじめるのもこの時期からが大半でしょう。こうした経験ができる環境時にどのような人と共に時間を過ごすのか、これがまさに重要になります。しかしながらその重要性を学ぶ内容を気づかせ考える教育カリキュラムはほとんど存在しません。そこを今一度考え取り組みはじめなければならないときにきています。

一方、世界では様々な社会問題が複雑に同時多発的に起こってきています。これもまた乗り越え解決するのは人であり未来を担う若者であることは間違いありません。問題発見とその解決するすべを身につけることが重要になってきています。

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この2つの視点をうまく調和していく経験を積むことが、とても大切な分野であると思います。そのため、若者に時間を費やすことで「可能性への創造」を模索しています。

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