江口 彰 Laboratory

分野は、“教育” “映画” “まちづくり”。次世代への取組みを分かりやすく考えてみる。

民間採用の問題は“功利主義”という思想

Posted on | 8月 13, 2010 | 民間採用の問題は“功利主義”という思想 はコメントを受け付けていません。

前回は、民間人が教育界に参画する意味を“コミュニケーション能力”の視点で考えてみました。もちろん教員のなかにもコミュニケーションに卓越した人が活躍しているところもあると思います。さらに社会変化がより高度のコミュニケーション能力を必要としはじめていると考えられます。テクノロジーの進化やグローバル化がそうさせており、従来の教育の観点では追いついていかない現状もあるでしょう。

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さて、今回は逆に民間人が学校教育に参画する上での問題を考えてみたいと思います。それは、特に営利企業で働いていたという背景から教育哲学と矛盾しているところがあるからだと思います。営利を目的とするところにアレルギーを感じる特に公的職場ではたらいているその多くは、効用を目的とする最大幸福を主張するベンサムの功利主義に対する違和感があると考えられます。つまり民間企業は、効率的にビジネスを行ない、利益を追求するといった目的があるため、その組織の活動に長く馴染むと、それが当たり前という思想を学校教育の現場に持ち込んでくる。その可能性に問題意識を持っていると思います。教育現場では、間違いや失敗という非効率な経験は必要なものですし、損得や利益を追求することを目的とすべきでない状況が多々あります。この思想背景は、未来の世界を担う若者の教育現場にふさわしくないと考えられます。詳細は、マイケル・サンデル氏の『これから「正義」の話をしよう』(早川書房)を参照していただきたいと思います。

この思想の違いが、立場を決定的に分けてしまうため、コミュニケーションの阻害要因として大きな壁になって立ちはだかります。思想が違う=考え方があわないというわけですから、これは溝が深く遠い距離を感じてしまう傾向が強いでしょう。

前々回の記事に書きました「今、何を学ぶべきか?」では、目的形成とプロセスの2つの軸を学ぶべきだと持論を述べました。ここでいう民間採用者はコミュニケーション経験があり実践的ですから、プロセスについて、既存の教員よりも優れているということになります。何かを成し遂げる経験も多様にあるでしょうし、リスクを乗り越えた経験も多彩でしょう。しかしながら目的形成の部分で教育哲学等へのアプローチは、学校教員の方が学んできているという見方ができると思います。この背景や視点の違いをお互い理解しながら、建設的に改善しつつ学校教育の現場を作ることが求められてくると思います。子どもたちに必要なのは両方です。教員と民間採用者との現場は、相当難しくデリケートな場面が多々あるだろうと想像されます。新しいシステムを導入し馴染み、機能しはじめ、効果が生まれるまでは、根気よく向き合っていかなければなりません。そして、校長や教頭といった立場の人のリーダーシップが問われることになるでしょう。

民間採用が “コミュニケーション能力”を育成する

Posted on | 8月 13, 2010 | 民間採用が “コミュニケーション能力”を育成する はコメントを受け付けていません。

なにかと“コミュニケーション能力“だ、といった話をよく聞きます。職場環境や若者問題など社会のなかで注目されている“コミュニケーション能力”について少し考えてみましょう。

ある一つの組織のなかで、コミュニケーションがうまくいかない阻害要因としてジュシウスは3つの分類をしています。「送り手と受け手」「ことば」「階層」の3つです。送り手は100%伝わるつもりで受け手に送信しますが、100%受け取れることはかなり稀です。相手を好意に思っているかそうでないかでも違ってくるでしょうし、状況や環境によってもかなり変わるでしょう。「ことば」は、使う人によって定義が異なることがあります。私は教育の話を様々な方としますが、あるときその人は「教育」=「学校教育」という意味で使っていました。私は「教育」とは学校以外も含めて考えていますから、最初はお互いつじつまが合わないわけです。その後は齟齬を見つけて会話がスムーズになりました。そして「階層」とは、その人の立場によって考え方や受け取り方が違ってくることを示しています。上司と部下では見ている視点が違うのは当然のことです。

これ以外にも組織外を考えますと、違う業界であれば業界用語というものがありますし、そもそも外国語となるとますますコミュニケーションがとりにくくなります。

コミュニケーション能力をアップさせるために、従来の授業だけで十分とは誰もが思わないと思います。英語教育が典型的な例ですが、テストで点数を取れても外国で通用する人はわずかです。授業が全く無駄とはいいませんが、他に英会話の訓練環境があり、かつ授業もがんばった、となってかなり流暢にコミュニケーションができるということでしょう。現行の授業以外にやるべきことを実践しないといけません。

学生や生徒のコミュニケーション能力をアップさせるためには、3つの阻害要因の経験を通じて学習し何度も反復できる機会がなければなりません。学校のなかでの友人関係構築からはじまり、遊び、喧嘩し、クラスの運営も行い、生徒会や委員会活動、部活動など学校教育内での課外活動がこの機会を作っていきます。そして、学校以外では住んでいる地域や親類家族との対話を通じて徐々に学習されていくものです。ことばの意味などは、学校の授業が基礎になりつつ、マスメディアや読書を通じて蓄積されていきます。旅行をする先々での出会いを通じた経験も大きな機会になるでしょう。

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今、家族や地域社会、そして学校社会が徐々に崩れはじめていることを問題として考えられています。加えてテクノロジーの発展でネットや携帯電話等がどのように影響しているかも考えなければなりません。そして、もう一つ大きな原因として学校教員のコミュニケーション能力が懸念されます。多くの学校教員の経験をみていくと多様な人とのコミュニケーション経験が少ない場合がほとんどです。それは教育大学という単科大学からそのまま教員になるパターンが一つの要因と考えられます。つまり、学友も教員なために様々な業界の友人を持つ可能性が低くなり社会と隔絶された状態が大いにあり得るということです。そもそも学校とは、異なる業界と接しなくても運営が成り立ちますから、教員になってからも様々な立場の人に出会うことがかなり限られているわけです。私も時々学校教員の方にお会いしますが、名刺を持っていませんといわれるケースがよくあります。これは普段必要性がないことを意味しています。他にも、千葉県成田市の英語教員は大変な環境にいるとのことです。国際空港周辺には帰国子女が多く、教員よりも上手な子供たちが多いからだといいます。つまり、学校教員は英語を使ったコミュニケーション機会という経験が、圧倒的に子供たちより少ないということを意味しています。

このような理由もあって学校教育で民間人を登用することを近年進めていると思います。子供たちのコミュニケーション能力を養うためにも、民間経験者、つまり多様な人々とのコミュニケーション経験を学校社会に導入することだと思います。しかし、学校教員と民間人登用者との阻害要因を乗り越えるところが最初の大きなハードルでしょうし、子供たちへはまだまだ道のりがあるだろうと推測されます。

今、何を学ぶべきなのか?

Posted on | 8月 12, 2010 | 今、何を学ぶべきなのか? はコメントを受け付けていません。

教育改革が必要といわれて近年様々な業界が声を上げはじめてきました。そこにアメリカの富豪と呼ばれる人たちも声を出しはじめています。日本ではこれまで、ゆとり教育など学習カリキュラムをどうする、教科書をどうすべきか、様々いわれてきています。しかしながら、真面目に勉強し最難関の大学に進学卒業しても就職できない時代になり、論調が「人間力」「社会人基礎力」等「○○力」と能力論がかなり語られるようになってきました。いったい何を我々は学ぶべきなのでしょうか。

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私の持論として、まずは「目標形成」の学習と「プロセス」の学習と大きく2つに分けて考えるのがよいと思っています。目標とは何か、どう立てるべきか。そのためにはまず情報を収集することからスタートします。その情報源は多岐にわたります。一般的な勉強もそうですが、様々な経験を積み、ニュースを見るなど多くの情報を得るための動きを行ないます。そのなかでも最も重要な分野として“哲学”や“社会学”“歴史学”などが挙げられると思います。やはり学問の源流である古典や先人の蓄積である歴史に学ぶことところから目標を考えるアプローチが必要になってくるでしょう。

一方、プロセスを取り扱う分野は“心理学”や“経営学”などの学問領域や、さらにトレーニング・練習・稽古といった行動も含まれていきます。これもまた情報収集や分析をして計画を立てる、中間目標を作るなども含まれるでしょう。まずは、これらの2つの軸から学習カリキュラムを整理し段階的に組み合わせる形にすると分かりやすくまとめられるのではないでしょうか。何かを成し遂げるプロセスに優れていていも、正しいことにその力を行使しないのは大問題ですし、理想を語ってばかりで現実に近づけていけないのも本末転倒だと思います。

最後に、この2つの学習軸への好奇心を持って向かう姿勢をどうやって養うべきでしょうか。学習のカリキュラムを整えた上で、好奇心や熱意を育むメンター的な教員が多く配置されるようになると、現状の教育制度が大きく改革されることになると考えられます。

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