江口 彰 Laboratory

分野は、“教育” “映画” “まちづくり”。次世代への取組みを分かりやすく考えてみる。

ゆうばり映画祭ボランティア

Posted on | 3月 5, 2011 | ゆうばり映画祭ボランティア はコメントを受け付けていません。

毎年2月下旬はゆうばり国際ファンタスティック映画祭の運営ボランティアとして北大生を引き連れて参加しています。今年も2/24〜28までの5日間、参加してきました。

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財政破綻後、復活したゆうばり映画祭。当時、映画祭の運営費が半分以下になり、様々な形でボランティアが関わる必要性がありました。そこで、急遽北大生の北大映画館プロジェクトのメンバーに招集をかけて参加するようになったのが2008年のときになります。今年で4年連続お世話になりました。北海道大学で「クラークシアター」の企画運営を立ち上げたのが2006年からですから、スタートして3年目の学生から参加するようになっています。我々以外でも東京都庁の方々が毎年団体で参加しています。

このボランティアの参加の目的は、もちろんゆうばりを応援しようという純粋な動機からスタートしていますが、自ら企画運営しているプロジェクトの参考になるような経験を積むという大きな使命があります。北海道で最も有名で知名度のある映画祭の現場に足を踏み入れ、運営の経験、映画関係者との交流、映画をたくさん見ること、そして5日間合宿のような時間を過ごすことによるチームワークの形成です。もう一つに、財政破綻をした地方都市の空気を感じてほしいと思ってもいます。札幌のような大都市にいるとついつい忘れがちになる地域間格差を学ぶことは、北海道に住んでいるものとしてかなり大事なことと思います。

このようにただ体験することやお手伝いをするという意味ではなく、次に自らの企画イベントのためという“連続性”があるのが特徴と考えています。また映画人と知り合うことから、ゲスト選定や上映作品を決めるにあたる何かしらの契機が生まれるといった“相互性”も隠れています。ですから、何かしら接触機会を意味のあるものにしようという動きがあります。普通の学生だとサインや記念撮影をお願いすると思いますが、プロジェクトを抱えている学生は、自らの活動を紹介しつつ、何かしらの機会構築を促すように話しかけます。このスタンスの違いで得られる経験の質はかなり高度になり、学べきステージが一つ二つ違ってきます。一般的な学生を引き連れて参加するのとは、かなり違う意味が含まれているのです。ジョン・デューイの「質の高い経験」に添っているプログラミングになっていると言えるでしょう。

これまでも多くの映画人や俳優さんにお会いできました。普段お会いできないテレビや映画の世界の人が目の前を歩いている。コンビニに買い物にいくと、普通に俳優さんにも遭遇する。この空間を5日間体験することは、首都圏以外にいる学生や一般市民には奇妙で新鮮な感覚です。その世界と現実世界の距離を身近にすることで、将来自分たちの企画イベントや卒業後の進路などにも微妙に影響を与えてきています。

今年から、北大映画館プロジェクトメンバー以外にも北大映研部員や他大学生にも参加してもらうように広げることとしました。幅広い学生が関わることによって、より意味のある体験を若い人にしてもらいたいと思っています。

プロとアマの融合作品

Posted on | 2月 16, 2011 | プロとアマの融合作品 はコメントを受け付けていません。

「温故知新音楽劇」今年6回目を迎えた地域の人々と作り上げる住民劇が先日札幌公演を終えました。「旗ヲ出スベカラズ〜琴似フラグステーション」と題した今回の脚本は、琴似駅にまつわる明治時代のお話です。(詳細はこちら

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数日間密着取材のため、このプロジェクトの趣旨や活動経緯を間近で接することができ、自身がプロデュースしている北海道大学での短編映画企画と多くの共通点を発見することができました。両企画とも、普段全く関わることのない素人の参加があること、プロと呼ばれるその道に通じた人が多く関わっていること、そして作品が出来上がることです。大きな学びや気づき、きっかけなども結果として得られることもできます。

コンカリーニョプロデュースの住民劇は、琴似地区に限定した歴史的検証をしつつお話をつくり、地域の人がはじめて舞台に立つといった要素を取り入れ、演出、音響、照明はプロの人たちで構成され、札幌で活躍中の役者の共演も融合したスタイルです。今回は3回公演ともほぼ満員状態でした。

北海道大学の短編映画も、北海道大学キャンパスを中心とした場所に特化し、学生がはじめて映画に出演するといった機会をつくり、札幌の役者にも参加していただいて、監督やカメラマン、照明、音響、編集等はプロスタッフで構成されています。前作は、北海道大学の歴史の一端でもある中谷宇吉郎先生の研究にスポットをあてました。

この2つの現象をつぶさに見てきて、作品の完成といった共通目的に対して、プロアマ問わず全力で取りかかるそのプロセスは、多くの人を引き込む要素を生み出している動力源があると思います。作る側には感動体験があり、観客側には新たな感覚がある。特に、自分の住んでいる地域や所属している大学への発見が何ともうれしい気分にさせてくれる。そして素人とも思えないクオリティの高さがあり、それが身近に感じられる。友人知人がでているから行ってみよう、という動機付けなどがあります。舞台や映画が普段遠い世界の人にとっては、インパクトがある状況なのだと思います。

今様々な体験型学習やインターンシップなどありますが、質の高い作品としてのアウトプットを生み出すスタイルはそう多くありません。しかも観客との対話の場面がある演劇や映画作品には、その学習や地域に与える効果・影響を強く感じます。地方に行くと機会が稀にあると聞きます。都市型スタイルは珍しいとのことで、この一連の活動についてもっと注目すべき要素が多いように思いました。今後もう少しこれらの現象を調査研究・企画プロデュースしてみたいと思います。

「就活」倫理憲章に意味があるのか?

Posted on | 1月 9, 2011 | 「就活」倫理憲章に意味があるのか? はコメントを受け付けていません。

このほど経団連が発表したところによると、会社説明会など企業による学生への「広報活動」の開始時期を3年生の12月1日以降とし「面接」などは最終学年の4月以降という方針を固めた、とあります。これまでは3年生の10月から広報活動開始、面接は年明けぐらいから徐々に起こってきます。厳密には、リクナビなどの就職支援WEBサイトが3年生の6月ぐらいにオープンしています。ですから3年生になったらすぐにスタートといってもよい状態でした。大学で学ぶという意味が希薄化していると言われる所以です。

さて今回の倫理憲章はどれくらい守られるのでしょうか。私が思うに実質的な効力はないと見ています。それはグローバル化によるところがもっとも大きな理由だと考えます。もはや新卒採用は国内の大卒生にこだわる必要性が無くなってきました。多くの企業は、日本の学生より外国の特にアジアの優秀な人材に目を付けはじめています。上海や北京などで就活イベントが行われ、そこで確保ができれば日本での採用はそのあとでもよい、と考えているでしょう。経団連の倫理憲章は国外に対しては適用されないでしょうし、海外の就活イベントは日本以外の企業も多数参加するでしょうから、効力を発揮しない場になります。企業は、日本の大学生に対して質的疑問を多く持ちはじめているということでもあります。

今後ローコストキャリア(LCC)の発達に伴い、日本の一部の学生が海外の就活イベントに出かけていくかもしれません。ソウル、上海、香港あたりにはお手軽な就活格安パッケージなども出てくると思います。

皮肉な結末になるかもしれませんが、就活がアジアの諸国に移行するということは、国内の若者にとってますますチャンスが無くなることを意味しますから、国益として考えると衰退していくことが考えられます。既に、国家という枠組みで考えること自体も時代遅れになりつつあるのかもしれません。

企業側の視点は、国益よりも自社が国際競争に打ち勝つために多種多様な優秀な人材確保に真剣に取り組むべきで、そうでなければなりません。日本は人口減少社会ですから、ますます外のマーケットに開かれていなければビジネスとしての発展的展開はできない時代です。そうなると、ビジネスの質も変化し新卒に求めるものも変化してくるでしょう。単なる優秀かどうかだけでもなく、外国人採用の背景には、日本の企業の海外進出における多国籍化に伴うものでもあります。言葉の壁だけではなく各国や地方の文化などの背景も含めて現地採用者の方がより効果を出していくでしょう。

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確かなことは、今回の倫理憲章で大学生が「ほっと一息つく」といった状態になるわけではないということです。新卒として求められる人間性や能力が減ることを意味しているわけではありません。このような時代の変化に敏感であれば、学ぶべきことが増えてきていることには変わりはないのです。

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