江口 彰 Laboratory

分野は、“教育” “映画” “まちづくり”。次世代への取組みを分かりやすく考えてみる。

「裸の王様」を見抜くべきは大人の仕事だ。

Posted on | 5月 2, 2011 | 「裸の王様」を見抜くべきは大人の仕事だ。 はコメントを受け付けていません。

放射能の危険が子どもたちに襲いかかっている現実に、大人社会は、大丈夫だ、大丈夫でないと言い合いをしています。しかも出てきている数値は、どうやら問題のある高いもので医学的な検証も明らかであるのに、その表現の仕方や解釈の違いが起こっています。社会を経験していない子どもたちは、なぜこのような言い合いになるのか不思議で分からないと思います。

この現象は、『裸の王様』の物語とほぼ同じような構造になっているようです。時の権力者である王様にさからうようなことは、事実であっても言ってはいけないという大人の事情というものがそこには存在しています。黒を白だと言ってしまう真実とは真逆な態度が、子どもに理解できないのは当然です。王様は裸だ!といった青年の心境を、今の福島原発から感じていることでしょう。

ここのところSNSなどが発達し、フリーのジャーナリストが活躍の幅を利かせてくれたことで、既存の報道と内容が違う情報に接触する機会が多くなってきました。ここで問題視したいことは、どちらが正しいか間違っているかではなく、一つの現象に異なった情報が多方面から出てきはじめていることを考えてみると、それをどう読み取るべきか、といった学習機会が必要になってくることです。

残念ながら現在、この新規のメディアにアクセスできるネット利活用者とそうでない人(特に高齢者)との隔たりがありますが、これも時間の問題(まだ数十年かかるかもしれませんが)で解消されていくでしょう。そうなると、読み取る力はこれまで以上に鍛えられていることが前提になってきます。裸の王様のような、時の権力者に対応するよりも、より真実を見極める態度が重要視される世界になってくると思われます。しかしながら、真実を見極めることは非常にタイトな学習であり、情報量が多いでしょうから、一部の人しかたどり着けないのかもしれません。それはまだ何とも言えないと思います。

この狭間の世界である既存社会と新しい社会の間で、今回の震災が起こりました。そこで、我々は何を学ぶべきでしょうか。前節にも書いたように、学ぶべき事柄は学校教育のシステムに導入すべきレベルまで達成してきていると考えられます。エネルギー分野やメディア分野については、義務教育から段階的に知識を獲得しながら、議論できる場を構築すべきで、社会で生活していくには非常に重要な分野であることに気がつきました。これらは受験科目よりも優先順位が高いことではないでしょうか。

一つ確認したいこととして、これまでの受験や勉強といった意味は、例えば、原子力発電所の仕組みを穴埋め形式で答えを求めてきました。メルトダウンとは何か、炉心溶融とはなにか、プルトニウムとは何か、という問いに答えるもので、正しく答えられるかを求め、覚えているかどうかを確認する世界でした。今回から学ぶべきことはそういったことではありません。原子力発電が必要か必要でないかという問いに対して私見を述べられるか、という問いになります。その答えは、現段階どちらかという二元論での採点ではなく、回答の中身の深さや価値観などがしっかり表現され説得力があるかどうか、にあります。よって賛成派であろうが反対派であろうが、その中身が採点対象になってきます。こういった学習評価を受験制度ではほとんどしてきませんでした。

このような問いへのアンサーは、今まさに社会人に求められていることではないでしょうか。特に就職活動時に学生に求めていることとほぼ同じ意味です。この問いの対象は、原発だけではなく様々な物事にあてはまり、それぞれの関心事や専門・仕事分野において求められています。

しかし、政府や東電など今回の震災に関わっている大人社会は、この求められていることを発揮していない、と子どもからは見えていると思います。もちろん子どもだけではなく客観的にみることができる大人からみても、理解できないことが多発しており、それは既存メディアよりも顕著にフリー記者から発信されてきました。

キャリア教育なる仕事や研究をしていて感じることは、それを実践させる子どもや学生に対してどうすべきかを対象としていますが、実は我々大人の態度や対応をまず考えないといけないのではないか、そう思うことが時々あります。今回、放射能から子どもを守るべき文科省の対応がまずいといったニュースがようやく大きくなってきました。文科省という王様と、学校職員・PTAなどといった学校現場において、着ていないはずの服を、素晴らしい服だともはや言っていられないレベルになっています。徐々にこうした発言が増えてきました。

最後に、時の権力者に対して、それが真実でも物事を言うことは大変なリスクを背負い込みます。ですから勇気を持ち、リスクに対応しなければならない、いばらの道だと思います。元ライブドア堀江氏の判決も、色々調べると過去の判例から執行猶予あたりが妥当でありそうですが、時の権力者にさからった見せしめという側面で実刑になったという報道もあります。つまり、裸の王様に裸だ!と言うことは、よほどの覚悟を持って望まないといけない社会だと言うことです。このような社会で、未来は明るくよりよくなるのでしょか。裸の王様を気づかせるのは、子どもではなく、まず大人が道を作るべきだと強く感じます。

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その先頭を走っているのが上杉隆氏をはじめとするフリーの記者たちで、今回の震災で特に動き回っている孫正義氏であり、多くのtwitterユーザーだと感じます。それで、チュニジアもエジプトも変わりました。日本は変わることができるのでしょうか。

震災から我々は何を学ぶべきなのだろうか。

Posted on | 4月 30, 2011 | 震災から我々は何を学ぶべきなのだろうか。 はコメントを受け付けていません。

はじめに、今回の震災に伴い犠牲になられた方々にご冥福をお祈り申し上げます。

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3/11。地震発生時、自分はJR札幌駅の北にあるLプラザで打ち合わせをしている時でした。札幌の震度は3で、揺れの時間は長くネットですぐにアクセスすると、ぞっとしたことを覚えています。神戸をしのぐ被害が脳裏にイメージされましたが、その後の出来事はそれを遥かに超えてしまいました。まさか原発問題にまでなるとは夢にも思っていなかったのが地震直後の想像でした。

この50日あまり、自分だけではなく多くの日本人は、原発やエネルギー問題に詳しくなっている人が増えてきていると思います。自分も恥ずかしながら、電気は普通に供給されるものだという感覚に支配されていました。節電という言葉を軽んじていたのも事実です。原子力発電所の仕組みやリスク、これまでの歴史的経緯も学びました。何も知らずにいたことは、反省せざるを得ません。今回の震災を契機にして、我々日本人は原子力やエネルギーについて知っておくべきことがたくあることに気がつき、それは学校教育の必修科目として学んでいかなければならないレベルだと強く感じました。

高度なテクノロジーの進化は、その学ぶべき基礎的な項目が次々と生まれてきます。便利で快適な生活の裏には、そうした学ぶべき知識を必須とすることが増えてくるということを感じます。

今回さらに多くを学んだ出来事は、政府や東京電力のリスク対策能力について問題が次々と起こっていることです。そして、それを発信する既存メディアとネット系メディアと飛んでくる情報は違うものだということです。私は、どちらが正しいのか検証をすることができない立場ですが、全く違う情報が飛び交っていることは事実で、どちらかが間違っていることや判断をミスしていることになりますから、多くの問題を浮き彫りにしているといってよいでしょう。天災から発生した災害は、人災を伴いはじめそれが大きくなってきているようです。

このようなところに気づき学び始めると、メディアや政府の役割について、さらに詳しく学校教育でやるべきことであることも感じます。現状では、これらをほとんど学ぶ機会がありません。

このように、社会で生きていくための新たな基礎知識の習得で欠落している分野が生まれてきており、そして社会不安を助長し、さらに子どもたちからみると信用のない大人の世界というイメージを持たれてしまいます。ますます、社会人になりたくないと思う若者が増えること、さらに少子化に拍車をかけてしまうこと(子どもを産んでも不幸になるなら産まないと思う女性が増える)など、メンタルな側面で未来に禍根を作る原因を生み出しているようでなりません。

本日(4/30)、札幌市厚別区で行なわれた被災者支援の集まりの場で、南相馬市から来た子どもたちと一緒に、ブルガリアの子どもたちから日本に届けられた折り鶴を展示する作業を行いました。子どもたちの笑顔をみながら、日本でこれからすべきことを改めて考え直してしまいます。我々大人がしっかり道を作ってあげなければなりません。

積極派、もしくは慎重派?

Posted on | 3月 6, 2011 | 積極派、もしくは慎重派? はコメントを受け付けていません。

NPOカタリバが広めている、高校生と大学生とのコミュニケーションを主にした学習プログラムが、北海道でもいよいよスタートすることとなりました。昨年から準備を友人と行い、ようやく実現にたどり着いたところです。第一回目は3/17旭川東栄高校で開催されます。そこで先日参加する札幌圏の学生が集まって「コミュニケーショントレーニング」と題した勉強会を実施しました。

勉強会のなかで「自己紹介」をテーマにした議論をしたとき、積極性のあるひとと慎重派なひとは、何が違うのか。そのトピックが立てられ、意見のやり取りがあり、非常に興味深い状況になりました。

ことの発端は、旅好きの学生が旅行計画を立てずに現地にいってから行動を考えるという話に対して、どうしてそういった行為ができるのか、と疑問に思った学生の質問にはじまりました。そこで理由をお互い聞くことにしました。計画を立てない人は、何が起こるか分からないから面白いのではないか、と言います。それを理解できない人は、何か起こるか不安で心配にならないのか、と言います。それ聞いていた参加学生に、どっち派に自分は属すると思うのか、と投げかけ、それぞれの意見を深めていくことにしました。

この互いの違いを理解し合うことを深めていく過程は、その場に参加するすべての学生が興味を持って議論に臨んでいたようです。どうしてこの思考の違いが生まれているのか。慎重派の人は積極派の人を羨ましいといいます。不確定なことに対して面白いと思えると人生もっと楽しいだろう、と。積極派は、慎重に行動しなかったことによる旅の失敗談を話します。調べていかなかったから、行けばよかった観光地を見逃して帰ってきた、と。しかしその失敗についてめげていない印象がありました。

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結局、お互いないところが羨ましいという話になりました。しかしながら積極的な人は慎重な行動を取り入れることができそうでしたが、慎重派が積極的な行為になれるかのハードルは高そうです。しかも結果がついてくる可能性が高いのは積極派のようだという感覚はあるようでした。

まずは不確定なものへの不安といった気持ちの変化が必要なのだと思います。そのとき不安に対する自信があるかないか、といった話にもなりました。自信を得るには場数をこなした人だと乗り越えていくタフさが身に付いているのでしょう。野球で打席に立つ前にどれだけ素振りやミート練習をしたのか。このような練習量がある意味根拠のない自信を持ってバッターボックスに立てるようにさせます。慎重派に一度陥ると場数をかなり制約しはじめますから、タフさを身につけるには多くの時間を要するか、もしくはタフさが蓄積されないまま、大人になっていくことになると思います。その違いについて今回の自己紹介を通じたなかで、ふとした質問から議論に展開しました。

このテーマを考える時間が、何かしらのきっかけを掴めるようで、非常に意味のあったひとときでした。3/8にも勉強会が開かれます。本番の3/17が楽しみになってきました。

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